「できない=❌」ではない
今朝は、、、「できない=ダメ、ではない」と胸に浮かびました。
私たちは「できない=❌」で、育てられてきています。学校や家庭などで。テストで出された問題ができなければ、点数は低く、優劣で言えば、劣と判断されます、客観的な数字で。学校でテストが返される時、みんなで「何点だった?」とお互いに、点数を確認しあって、大体みんなと同じであればまぁまぁだし、下であれば焦り、上であれば安心、そういったことを何回繰り返してきているでしょう。
私の場合は、そうして家に帰れば、どれだけ点数がよくても「上には上がいる」と親から言われて褒められたことはなかったです。当然、低い点数であれば、自分の子どもが「できない」というのが受け入れられない、許せない “優秀な(幼少の頃、神童と呼ばれていた)” 父が、ヒステリックに勉強を教えてくれたこともありました。私があまりにわからなさすぎて、父がブチ切れ、平手打ちされたこともあります。
こうして私の「優れている人は存在していていい、ダメなひとは存在できない」というパターンかつ価値観は、刷り込まれていきました。自分にとって、家は「空虚」でした。愛されてる、大切にされてる感覚は皆無で、寒々しい寂しさを抱いていました。
社会でも、そうですね。成果が出せなくて悩む人、仕事ができるけどパワハラし放題の上司がいれば「できる、優秀というだけでいいのか、人としてどうなんだ」と会社に疑念を抱く人、自分と他人を比べてできない自分を責める人、「できる」のに自分の価値が正当に評価されているとは思えず、不満を抱く人など、「できる・できない」というところで価値を判断しています。
だから世の中では「できない」を「できる」に変えようとするし、そうすれば、これだけの見返りがあるよ、というストーリーを仕立てます。
「できない=❌」というのは、それほどまでに私たちに浸透していて当たり前になっています。
でも、「できない=ダメ、ではない」。
私はこのことをバレエを通して学びました。
まったくできないバレエ。だけど、先生が言った「あなたの5番(ポジション)はそこ!」。体は一人一人違う。柔軟性、からだつき、身長、手足の長さ、脚力などみんな違う。そういう状況で、自分を知って受け入れる。5番がお手本のようにできないのはダメではない。「自分の5番はここなんだ」ということをまず自分がゆるす。
このとき、ずっと信じてきた「できない=❌」という価値観(パターン)が木っ端微塵に砕け散りました。「ああ、、、できなくていいんだ。上手にできなくてもここにいていいんだ、私。優秀でなくても存在してていいんだ」と胸の奥深くで、初めて思った気がします。今、思うと、自分で自分を「これでいいんだ」と初めて完全に受け入れた瞬間だったのではないでしょうか。
一般的には本当に多くの人が「できない=❌」という価値観で生きてきているから、それはダメなこととして判断されてしまってますが、それは、この世の中の、多くの人が持っている「できない=ダメ」というパターンが判断しているだけで事実ではなく、絶対的に正しいものでもないんです。
テレビだったか、ラジオだったか、たまたま聞こえてきたどなたかの言葉がありました。ダメな人間なんて、この世にいない。誰一人、ダメな人間はいない。
できない=ダメ、ではない。「できない=❌」という強い呪縛から自らを解放し、みんなで目を覚ましましょう!