「いじめ」の意味づけ

「いじめ」の意味づけ

2024年11月23日 22:52

先日の『魂の道場』の資料に久坂部氏のエッセイがあり、著者に興味を抱いたので『健康の分かれ道〜死ねない時代に老いる』(久坂部 羊・著)を読みました。

本に出てくる健康や死、老いに関する意味づけを面白く読みました。タイトルからは外れますが「いじめ」に関しても意味づけが書かれていたので抜粋し、考察します。

「いじめや不登校なども、私が子どものころには社会問題にまではなっていませんでした。いじめっ子はいましたが、「いじめ」という概念が成立していなかったからです。厳しい言い方かもしれませんが、悪口や嘲笑、仲間はずれや無視は、大人になって厳しい現実を生き抜くために役立つ強さや賢さを身につけるための”試練”という側面もあるのではないでしょうか。」(P.128)

確かに今の「いじめ」問題は病的で深刻化しているように思います。これって、「いじめはいけません」として、大人社会がこどもたちの「いじめ」を撲滅しようとしたところから始まっているように思うんです。こどもの「いじめ」に親や学校の先生はもとより、教育委員会なども出てくるようになりました。大人の責任問題にまでなってしまって、いじめが解決しているようには見えません。

そりゃ、いじめは良くないことです。でも、起きるんだから、ないことにはせずに、向き合っていくことが健全な社会につながるのではないかと思うんです。これは大人の社会で起きる「ハラスメント」もそうだと思います。

ハラスメントをなくそう!といったところ、なくならないので、それがあっても大丈夫な自分になることや、ハラスメントを呼び込まず、回避できる自分になることが近道だと思うのです。

子供や人間にやさしい環境は、人間を打たれ弱くします。自分自身は一人っ子で大切に守られて育てられたので、きっと打たれ弱いと思います。年の近い兄弟でもいれば、意地悪やからかいはしょっちゅうあったでしょう。きれいすぎる社会は病気に弱く、それはそれで危険です。

私はいじめた経験もいじめられた経験も、いじめをかわした経験も、いじめに毅然と反撃した経験もあって、今、思うのは、いじめっ子の気持ちもいじめられっ子の気持ちもわかる体験をしたということです。

言ってしまえばやはり「パターン」なので、起きていることに向き合い、まず自分の心から健全にしていきたいところです。