非力さとエンプロイアビリティ
私にはエンプロイアビリティ(雇用に値する能力)があります。自分の経歴や能力を知る人は、ほとんどの人が「どこでも雇ってくれるねー。いいなー。」と言いますし、もっと大舞台で働けるであろうに、なんでこんなところにいるの?みたいな反応をする人もいます。自分が持って生まれた知性と自分の努力で培ってきた能力にはそれなりの価値がある。きっとそうなのだろうと思います。
ただ、私のエンプロイアビリティのベースにあるものは、「非力ではだめだ」というパターンであることが自分ではわかります。
非力であると、認めてもらえない、人に自分の話を聞いてもらえない、必要とされない、求められない、スルーされるなどなど。私にも当然、そのような経験があり、そのたびに悔しさや屈辱を嫌というほど感じ、こういったパターンが、それこそ “悔しさをバネに” 歯を食いしばり、知性を使い、自分の能力を培ってきたと言えます。
この、「非力ではだめだ」で、ずーーーっとやってきていたんだな。
このパターンが、ずーーーーーーーーーっとがんばってきたんだな。(長い)
真逆にあるのは「非力はだめではない」というパターンです。
今朝、白黒ワークをして思ったのは、「非力であってもいい」という新たなパターンで、《こっちを選びたい》と思いました。なんか、疲れた・・。「非力ではだめだ」は、やり切った。
「非力であってもいい」という新たなパターンを思う時、力が抜けて、楽です。
ずっと頑張ってきた緊張の糸が切れ、それは涙となってあふれます。
もう、この荷物(頑張り)は下そう、と思います。
これからは「非力であってもいい」を選んでいこう。