やめてみる
幼い頃の自分を振り返ってみると、「自分が上でありたい」「自分は特別」というパターンは、当初は、みんなに注目されたい!という思いだったと思います。
かわいければちやほやされてアイドル扱い、スポーツができればヒーロー扱い、頭がよければ神童扱い、聞き分けが良ければいい子扱い。おもしろいことをしてドカンドカンとウケれば芸人扱い。何らかの形で目立つことで、注目されたい欲求は満たされます。
わたしは、親の都合で海外生まれ・海外育ちだっただけで「特別扱い」は当然のようにされてました。他の子どもとは「違う」ことで、注目され、気持ちの上で存在することができたのです。それは、パターンにとっては安心の場。だからそこに居続けようとする。そうじゃないと存在確認ができないから不安で仕方ないのです。
だから、子どもの頃に自分が体験しておぼえた「満たされた感覚」を何度でも再現するために、生き残りをかけて、パターンは無意識のうちに存在をアピールします。他人からとってももてはやされている事を観察して、自分でも真似して、注目を得ようと躍起になったりもします。私はそういう子どもでした。注目されたい!みんなに見てほしい!!私、ここにいるの!!その一心でしたから。
心の中にあるのは、孤独、不安、寂しさ。自分がここにいると認めてもらえない怖さもありました。
大人になって、自分と向き合うことを知り、日々学んでいく中で、何かしたり言いたくなったときに、それをやめてみるということを何度かしました。ふだん、能動的・行動的な傾向にある人はやってみるといいかもしれません。つまりは、黒パターンによる言動をしないということです。
何かしたり、言ったりしたくなること、それ(黒パターンによる衝動的・反射的な言動ですね)を観察しているのは「本当の私」なので、日常生活においてそうした言動をやめることで、何か新たなパターンへの気づきもあると思うし、「本当の私」も少しずつ育っていくように思います。