悪人を演じること
ちょっと前になりますが、歌舞伎役者の片岡仁左衛門が「悪人を演じること」について語っていました。
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自分の中に、人の中に、悪はある。
それを表に出さずに良人として、生きているわけです。
その悪人を役者が演じるところに、ふだんは悪の部分を出せないお客さんにとっての面白さがあるのではないか。
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そういえば、役者さんって、悪役を演じたがります。片岡仁左衛門が演じる悪役は、これまた艶があってゾッとするほどかっこいいんです・・・笑。
ここで「悪」を「パターン」に置き換えてみると、、、
誰の中にもパターンはある。
それを表に出さずに「良人」として、生きているわけです。
そのパターンを人が演じるところに、ふだんパターンが言動していると思っていない私たちにとっての面白さがあるのではないか。
パターンって、人であることの面白さ=味わいだと思うんです。
ここでは、パターンを “演じている” ことになっていますが、ほとんどの場合は無意識で、それが自分だと信じている。そこにキャラクター=人格が浮かび上がります。
小説やテレビドラマでも、その役柄のパターンが見え、それでこそ登場人物が息づいているように感じます。
要は、無意識で自分ではない人格を生きているところが人らしいところであり、人間関係や人生がちょっと大変になっちゃうところでもあるのかな、と思います。
自分は今まで、どんなキャラクターを生きようとしてきたのか?
そう自問することで意識化できることもあるかもしれません。