忖度
政治の世界で「忖度」ということばが流行したのは2017年のことだったらしいのですが、最近、いろいろな場に出かける機会があるなかで、その「場」の空気から、いわゆる忖度的なやりとりが浮かび上がって見えてきます。
そこにいる誰もが人の顔色を見ることにエネルギーと時間を使い(空気を読む)、話題も当たり障りのないもの(その場にふさわしい話題)で、物事が進んでいかない、下手したらいつも同じ話題の繰り返し(いったいいつまでやるつもり?)、やるべきことが二の次になり、本質が議論されることは勿論ない・・・そういう風に今の私には見えます。
場の空気を乱す発言、例えば、会議の場などで「すみません、この会議はいったいどこへ向かっているんでしょうか」などと私は言いますが、誰かがそれをしなければ、忖度会議はずーっと続くでしょう。「あーーー時間がぁ!」とやること満載の私などは思うので、場が乱れようがどれだけ波風立とうが関係ないです。
そこには「自分は発言する立場にない」とか「ここで出過ぎたことを言ったら全てを押し付けられる」、「そんな責任をわたしは取れない」、「みんなから嫌われたくない」、「怖い人だと思われたくない」、「波風立てたくない」さまざまなパターンがぶわーーっと繰り広げられています。
目線は自分のノートパソコンの画面に落とし、誰とも目を合わせようとせず、耳だけが「場」に向けられている。これって、電車の中とかも似たような感じですよね。みんなスマホを見てるし。
そういう空気は、会議の場にとどまらず、飲み会、お茶会、お食事会などでもあって、どちらかというとそういう場での「忖度」のほうが、重たく、嫌〜〜〜な感じがするものだなと思いました。気心の知れた人たちの集まりだから、やっぱりそこには「嫌われたくない」「いい人だと思われたい」「仲間や友達への気遣い・配慮をするべき」というのがあるだろうことは容易にうかがい知れます。これが一般的だし、そうするものだという「常識」がまかり通っているのでしょう。
私は、もっと、本質的なことを話したい。
だから、魂の道場での学びや、学びの後の、みんなとの食事の場がたまらなく楽しいし、それがまた自分の自己探求を深めてもいると思います。