強制終了
私は、首が痛くなって仕事をやめるまで、がむしゃらに働き続けていました。いま思えば「認めてほしい」「わかってほしい」「自分は正しい」といったパターン全開で突っ走っていた時だったので、具合だって、そりゃ悪くなるよね、と思います。
誰よりも遅くまで働いて、誰よりも早く事務所へ行って、ということをやってました。そうやって「(私はこんなにやっている)だから認めてほしい」と他人に当てつけるようにして働いてたんですね。
なので、頚椎症になったのは私にとっては強制終了のようなもので、そういう自分にストップをかけてくれたと思います。正直、ホッとしました。パターンや、自分を駆り立てているものや、動機を意識しない限り、パターンの暴走は止められないですね。雪だるま式にどんどん大きくなっていきます。やってもやっても「誰もわかってくれない、認めてくれない」というループに陥っていました。
今でこそパターンだってわかりますが、そのころはまったくそのことを認識できていなかったので、体のほうで「無理してるよ」って教えてくれたのでしょう。「がむしゃらにやる」「何もやらない」その極端な二つを経験して、やっと今はとてもよい状態で働くことができています。私にはそれらの経験が必要だったし、今の経験も必要。そう思います。
働く事に何か決まった形がある訳ではなく、自分自身のありようとともに進化するものと思う一方で、働くという事を形として見た時に実は内側ではものすごい変容を遂げているということもあると思います。
▼あなたはどのような働き方をしたいと考えているでしょうか?