完治
父の定期的な検査で行った病院では「自分の思う通りの両親でいてもらいたい」という従来のパターンから降りて、「両親の言動が自分の思い通りでなくてもいい」という新たなパターン(白パターン)を、「私」は選んだ。「私」はそれを望んではいないという白パターンを、「私」は選んだ。・・・と繰り返し、繰り返し心の中で唱えていました。その時の広がり、開けていく感じ、明るさも思い出しながら。繰り返し、繰り返し・・・
それでもふとしたことで、黒パターン「自分の思う通りの両親でいてもらいたい」の反射的な言動まっしぐら〜に何度もなりかけました。瞬間的に頭にきたこともあり、その時は物理的に少し離れました。そこでも「両親の言動が自分の思い通りでなくてもいい」という白パターンを、「私」は選んだ。と繰り返し、繰り返し、心の中で思い返しながら唱えました。
先生の診察を終え、検査結果も良好で一安心。帰りのタクシーでは、パッと目にした運転手さんのお名前がなんと「完治」(笑)。病院からの帰りだったこともあり、思わず「いいお名前ですね!完治ですかー!!幸先いい感じがしますね。ありがとうございましたー!」とお礼を言って、降りました。
父はもう高齢ですし、これから病が “完治” することを私は望んではいません。帰宅してお茶とお菓子を食べながら「お疲れ様でした!」「ありがとう」と労いながら過ごす静かなひとときは穏やかで、丸く緩やかにおさまっている安心感は “完治” に等しく、私を後ろで支えてくれている、応援してくれている存在にも、「お疲れ様でした!」「ありがとう」と言いました。
▼自分と向き合い〔今のそのままの自分を愛すること〕を目指していくセッションを行っています。