ひとを見る目
今年の目標の一つ「自分を客観視する」ということで最近考えたこと。それは、「ひと(相手・他人)を見る目」の変化です。
「自分を成り立たせるために他人を利用していた」ことに無意識だった頃と比べたら、今は自他の分離感があり、相手の言動から自分のパターンを満たす(自分を成り立たせる)何かを拾おうとしたり、他人の言動の一つ一つに必要以上の重さを持たせたりすることが格段に少なくなったと思います。他人にしがみつかなくなった。
以前は、他人の存在が重たかったんです。重たかった=重要という意味です。自分の肥大化したパターンを支えるためには他人に重鎮でいてもらう必要がありました。わかりやすく言うと、「すごい自分」(パターンです)の周りにはすごい人たちがいてくれないとパターンは嫌でした。これは人間だけでなくいろんなことが「すごい自分」に見合っていないとダメだったのでした。
というわけで、これまではそのようなパターンのフィルター越しにひとと接していましたが、このところは、個々がそれぞれ単体で立っていることを認識できるようになってきたかなーと思います。それはまた、誰もがそれぞれのパイプを生きているということを実感し始めてきたということかもしれません。
その分、一人一人をしっかり受け止めるような感覚があって、それは、自分自身が自分と向き合ってきている分、同様の深みを他人にも感じているのか、その人自身のこれまでを感じるような、その人自身を成り立たせているものを感じるような、そんな感覚が生まれているようです。
今後も時々、自分自身を客観視してBEFORE/AFTERの変化を楽しみます。