ジブンゴトとして引き取る
他人にどれだけ愛されたか、どれだけ世の中に評価されたか、社会的にどれだけ成功したか、人々からどれだけ認められたか(パターンはこれらを求めがち)ということよりも、自分がどれだけ自分を愛したか、というところがとても大事だと感じていて、ガンバロウ!と近頃、よく思います。
自分がどれだけやったのか。自分がどれだけ生きたのか。それだけはいつかあの世へ行ったとき、本当に恥ずかしくないようにしておきたい。そこに至る一つのマインドシフトとして「人のせいにしない。起きていることの全てを自分が引き取る」。そう、決めた、ということがありました。今考えると、これは大きかったです。
まだ、自分と向き合うということをやる前の私は「おかしいのは他人。悪いのは他人。自分は何も悪くない。」と本気で思っていました。だから、私は私の先生に「カウンセラーになりたいのなら、カウンセリングをまず受けないとね。」とまで言わせてしまったのです。それぐらい "自分自身におかしいところなど何一つない。治すべき、改めるべきことなど、あるわけがない。おかしいのは他人だ。カウンセリングを受けるべきなのは他人だ" と信じて疑いませんでした。
いま、これを書いていて気付きましたが、私がカウンセラーになりたいと思った動機は、自分に嫌な思いばかりさせる、おかしい他人に影響を与え、そういう人の言動を改めさせるため、だったのかもしれません。だから、自分はカウンセラーになるけれども、自分がカウンセリングを受ける必要は微塵もなかったのです。
今、考えるとびっくりなんですが、それくらい自分と向き合うということからは程遠い場所にいました。そしてそれは、他人に振り回されていた人生でした。全てジブンゴトとして引き取るって決めてからは、かなり楽になりましたし、気持ちも生き生きとし始めました。すべてを自分がドライブしていると感じられるようになったからです。
そりゃあ、嫌な事、辛い事、苦しい事、まだまだあります。でもそれを何日も、何ヶ月も、何年も引きずって生きる、ということは一切なくなりました。