ふつうに生きるって何?
『ふつうに生きるって何? 小学生の僕が考えたみんなの幸せ』井手 英策 (著)を読みました。
平凡/非凡についてちょうど考えていた時に、タイトルにある「ふつう」が気になり、手にしたのでした。貧困、勉強、母子家庭、障がい、仕事、友達といったテーマについて小学生の愉太郎君のまなざしが注がれます。
理不尽さ、悲しさ、寂しさ、悔しさなどの感情にあふれるお話は、読みながら泣けてくることもしばしば。小学生の子供が書いているわけではなく、大人になってから、自分を生きることをしてこなかった反省から、小学生時代に戻り、こういう小学生でありたかった、という姿を書いたのがこの本なのだそうです。
いくつか、本のあとがきより抜粋です~~~~~~~~
未来のことばかり考え、いまを大切にしなかった。そのとき、そのときのできごとを心に刻まずに生きてきた。何てバカな生き方をしてきたんだろうと悔やみました。僕は病院のベッドで布団をかぶって泣きました。
愉太郎は、いまの僕が「なりたかった子ども」なのです。愉太郎は、僕と正反対の子どもです。
あんなおとなになりたいではなく、そんな人間で僕はいたい。そう、僕は愉太郎のような人間でいたいのです。
長い人生の中で、”ふつう”の日々の”ふつう”のできごとに「意味」を見つける愉太郎の生き方を、僕は「ふつうに生きる」と名づけたいと思います。
そのとき、そのときのできごとを真正面から受け止め、よろこんだり、悲しんだりする、だれもがそんな人間らしい生き方ができることが当たり前の世の中になってほしいと願っています。
“ふつう”に生きるということーーーそれは過去をふり返り、いまをだきしめ、そのときどきの痛みや悲しみの中に「意味」を見つけながら、未来へと歩んでいく、そんな終わりなき旅なのです。
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著者はこの本を書きながらかなり自分自身が癒やされたのではなかろうか。泣きながら書いたのではなかろうか。自分自身に思い当たることなので、そのように思いました。
とっても正直で素直な男の子の物語。こういう少年が著者の中にずっといるということもでもあります。この本を読んだすべての「愉太郎君」が安心して大人になってくれるといいな〜と思うのでした。