どうか神さま。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読みました。
今まで読んだことがなかったですが、盛岡に行ったことがきっかけとなり、読んでみようと思いました。
その中に出てくる、蠍(さそり)のお話が印象に残りました。
蠍は、小さな虫などを殺して、それを食べて生きていましたが、ある日、イタチに見つかり、自分が食べられそうになって、一生懸命に逃げます。その途中、井戸に落ちてしまい、溺れはじめて・・・
続きを以下に抜粋します。
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そのときさそりは斯う云ってお祈(いの)りしたというの
ああ、わたしはいままで
いくつのものの命をとったかわからない、
そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときは
あんなに一生けん命にげた。
それでもとうとうこんなになってしまった。
ああなんにもあてにならない。
どうしてわたしはわたしのからだを だまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。
そしたらいたちも一日生きのびたろうに。
どうか神さま。私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてず
どうかこの次には
まことのみんなの幸(さいわい)のために
私のからだをおつかい下さい。
って云ったというの。
そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって
燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。
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ここで、蠍の魂は、黙ってイタチに命を差し出せなかったこと、逃げ惑った挙句に井戸に落ちてしまったこと、そして、溺れ死んでいることを後悔し、「まことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」と望んでいます。真っ赤な火になって燃えること自体、痛く苦しく辛いことかもしれない。それでも、それを自らすすんで選んでいます。その結果、うつくしい火になってやみを照らしている、、、
蠍はこれまでの自分の行動を振り返り、自らの体、命への執着を一気に手放すことで星になりました。
我利我欲でいっぱいだった自分の成れの果てをつきつけられ、「どうか神さま。私の心をごらん下さい。」と曝け出しているところからは、真っ暗な絶望と一筋の希望の光がないまぜになった必死さ、切望を感じます。
『銀河鉄道の夜』では、このお話が語られた後でカムパネルラの魂の選択も描かれています。
私の魂はこれからどのような選択をしていくのか。
「どうか神さま。」、、、に続くものをじっくりと考えたいと思った読後感です。
そして私は、人を愛せる自分でありたい。
魂の望みを胸に、今日も一つ一つやっていきます。