新たな回路をつくる。
今回オープンセミナーに参加して、自分のことで思い出したことがあります。
それは、自分自身の思考のクセです。
教わったことを、こうでああでこうで、ああだから、こうで、これはこうで、、と、より複雑に、より応用的に考え進めていこうとするクセ。
「これは、こうでしょ…だから、この場合は、こう。こう、こう、こう。だから、こう、、、のハズ。合ってるかな?正しく理解できてるかな?」みたいな。
まずもって「なんでそんなに複雑にしたいの?」「なんで今、応用を考えるの?」といまの自分としてはツッコミたくなるのですが、それはさておき、これは論理的な思考の型です。
「それが、理解だ」とわたしは思っていたし、自分の頭が長年の学校教育により、論理的な思考に慣れているため、そういう理解の流れしか知らなかったし、そういうふうに導き出した答えは、頭でわかったときの快感(頭の中がスッキリする)が得られるので、そこに居続けていました。
あと、そうやって導き出した答えは学校では「正解」とされてきたので、正解を導き出す回数や速さで、「頭がいい」「理解力がある」などと褒められたり、高い評価が得られたり、そういった体験も、そこに居続けてきた背景にはあると思います。そうであれば自分が人よりも上、特別、すごい、そんな存在であれたのです。パターン的にはそれがよかった。
でもね、上述の思考のクセは、自分の思考回路にパズルピースがはまったというだけの、広大な宇宙からしてみたら、めちゃくちゃちっぽけなことなんです。しかも、その回路にピースがはまらなかったり、そこにはまるピースが見当たらなければ、理解が進まないという…
いまの私は、いつの間にやら、そのような思考をしなくなりました。以前の自分には考えられないほど、考えてないです。頭がまったく働いていない。
その理由の一つには、上述の思考回路に気がついたことがあると思います。そこから答えは導き出されないということも知りました。だって、自分がやろうとしていることはこれまでやってないことなんだから。あともう一つは、体験で理解することの重要性を知りました。これは大きかったです。
体験での理解を推し進めるためにまず必要なのは、とりあえず、ごちゃごちゃ言ってないでやってみること、です。ごちゃごちゃ言っているのは自分のパターンだから。
自分ができているのかできていないのかが気になるのであれば、それもパターンなので、そこと向き合い、ケアしつつ、自分自身でやってみながら(頭で考えるのではなくて、やってみる)、理解を進めることも必要だと思います。
私自身は「できない・わからない自分が嫌」、「自分はデキる人間だ」といったパターンが暴れに、暴れました。許せないんですよね、できない・わからない自分が。あとね、できない・わからない感覚も嫌だった!イラつく。デキる人間としてのプライドもズタズタになるし。このパターンはバレエ教室で、完璧にポッキーーーーン!とへし折られ、しばらくして「……ああ……できない自分でも、他の人と同じようにここに存在していていいんだ…………」と体験を通して、その安心感とともに理解するまで持ってました、大事に(笑)。
そんなこんなで少しずつ、思考の回路ではなくて、心の中に新たな回路ができてきて、今は頭ではなく、胸のあたりで考えるようになっています。
この日記も自分の胸のあたりの感覚と照らし合わせながら書いています。頭では書いてません。