「体がかたい」もパターン
バレエを始めたころ、私は体がかたいから大変だ・・と思っていました。なぜならば、バレエをやる人たちって体がやわらかいイメージがあったからです。やわらかくないとできないのではないか?と思ってました。
体がかたいのは昔からで、もともと好きだった球技ばかりやってるうちにさらにかたくなっていったと思います。で、体がかたいから、やわらかくないとできそうなものは選ばないし、好きじゃないし、興味もわかない、というふうになっていきました。
でも「体がかたい、というのもパターンだから」と〔魂の道場〕で教わり、そうなのか!と思いました。
「体がかたい」がパターンだと認識することで、どんな影響があったか考えてみると、それを言い訳にしないし、レッスンをする上でのブレーキになっていないと思います。できない理由として、「体がかたいから」といちいち思わないのが実状です。
その心境は「あっ、そ、かたいのね。わかったから、やることやろう」です。体がかたかろうが、どうであろうが関係ない。でも無理をすることなくキッチリやるという感覚があり、これはバレエ教室の先生の基本的なスタンスでもあります。あと「苦手なら苦手なりに、できるところまでやろう」という積み重ねの心境もあります。最初から何もやらないんじゃなくて、努力するということです。
そしていま、自分は体がかたいのかというと、自分史上、最もやわらかいです。ここをこうやって動かすとやわらかくなるという知恵もつきました。そりゃ〜やわらかい人と比べたらかたいですよ。でも、こんなにやわらかかったことはないんです。
では、、、、もし、仮にそれをパターンだと認識していなかったら、どうだったでしょう?私は体がかたい。かたいからできないんだ。そう思い続けていたらどうだったか。
たぶんですが、なんの進歩もしなかったんじゃないでしょうか。パターンがそうやって決めているから。それ以外のことが意識に入ってこないのです。あとは、バレエの先生から叱られるんじゃないかな。つまらなそうに踊るな、と。私も3〜4回言われたことがあります。
「バレエは体がやわらかくなければできない」というパターンの世界を作り出し、必死でやわらかくしようとして、なかなかやわらかくならない自分の体が嫌になったことでしょう。バレエは体のやわらかさだけではないのに。他にもバレエをやる上で大切なこと、面白いこと、気づきはたくさんあるのに。ずっとその狭い世界にとらわれていたことでしょう。
私たちはまず、自分の周りに広がっている世界は自分のパターンが作っていると思った方が良さそうです。本当の世界ではない。特に、「私は〜だ」というパターンはそのフィルターを通して物事を見て、受け止めます。まるでそれが本当の自分かのように。まるでそれが事実かのように。
でも実際には、パターンがつくる世界って超極小で、広大な宇宙に落ちている一つの塵程度のものです。こう言っちゃなんですが、大したことはない。一つの塵の周りは全部、それ以外のもの。未知なる可能性です。パターンは「〜〜〜だ。」と頑なに決めてますが、な〜んにも決まってない、本当の自分が創り出そうとしている世界が、あるんです。
自分のパターンに気づいて、自分のパターンがつくりだす世界に気づいて、そうして、本当の自分が世界を創り出していこう。本当の私はいま、その実験をしている最中、なのだと思います。