引っ越します
自分の周りや世の中を見ていると、あらゆる場面で自分とのギャップを感じます。
苦しんでいる人が一気に増えた印象があって、そういう人たちが自分自身の苦しみを抱えきれず持て余して、外に噴出している感じがしています。好例が先述したタクシーの運転手。病院から乗せたお客さんに自らの既往歴を延々語るという。何ともいただけない。その運転手さんも今までであればそのようなことはなかったのではないかと思うんです。バリバリ仕事してお金稼いで、それでよかった。でもお金を稼げない状態になって、そこでお金を稼ぐよりも大切なことに気づければ良いのですが、もう、どうしようもないくらいの苦しみがダダ漏れになっているのかもしれないな、、と思いました。
こういった話を聞く時、私の中で頻繁に騒ぐのは「自分を見るべき」というパターンです。
誰も何もしてくれないです。苦しいのは自分です。その時どうするのか?
自分で引き取って生きていくしかないでしょう。
しかし、そういう人たちに「それはね、自分を見ることで楽になっていくんだよ」と言ってもその反応は「は?何で自分がやらなきゃいけないんですか?」であろうと想像します。なぜなら今、展開されているのは、他人になんとかしてもらおう、責任ある立場の人がやってくれる、それはそういう人たちの仕事だ、という他責の言動だからです。
誰かが何とかしてくれるだろう。誰かが何とかするべき。政府、会社、家族、友人、同僚、、、、自分以外の誰か。
・・・・・その領域はとても苦しく、重たいです。私が感じているギャップはそこにあります。私も長い間、その領域に暮らしてきました。でも、それでも少しずつ、新たなパターンを選ぶことで明るく軽やかで広がりのある領域を体験してきています。が、しかし、自分の周りの人たちはそういう新たな領域があることを、まず知らない。知らずに他責。自分以外の人たちにはどうすることもできないんだよ・・と言いたい。
そして私は決めました。私、引っ越します。別の領域へ。