無知
自己探求というのは、無知な自分を知って、次へ行く、この繰り返しだと思います。
今までに何度、無知な自分と直面したことでしょうか。そのたびに少なからずショックを受け、愕然と(呆然と?)して、はぁぁぁ、と落ち込む。なぜ落ち込むのかといえば、自分がそのことを知らずにこれまでの人生を生きてきたからで、それまでの年月を無駄にしたかのようにパターンは思うからです。
知っていたらああはしなかっただろう。知っていたら自分はもっと別の道をいっていたかもしれない、とか思うものの、果たして本当にそうしたであろうか、とも思う。。。
あるいは、それは昔からずっとそこにあって、いろんな人が要所要所で教えてくれていたのかも。でも、自分の心がパターンで覆い尽くされていたから、そのことが入って来ずに、スルーして生きてきたのではないか、とも思う。。。
無知への気づきは、成長の証とも思います。ちょっと先に進んでいるから、その無知さ加減が見えてくるというような。それから「本当の私」は知っている。だから、「本当の私」と自分とが少しずつ統合されてくるごとに、そのギャップがいくつもの「無知」として差し込まれていて、それが時折明るみに出て、ギョッとするのだとも思います。
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無知とは?
(+)そこから次へ行く ひらける 明るい 希望 学び 成長 恩寵 新たな出発
(0)ただ一つの体験
(ー)知らずにいる 現実が見えていない パターンで覆い尽くされている状態 愚か まぬけ 馬鹿 わかっていない 過大評価・過小評価 残酷 無念 後悔 間違い・過ちを犯す 未熟
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無知とは、恩寵。だから、今、それを知って、向き合い、学ぶ魂なんだと思います。
そう思うと力が湧く。 さぁ、ここから、ここから。